2025年、日本の農林水産物・食品の輸出額が1兆7,000億円を超え、過去最高を更新しました。牛肉やいちご、日本酒といった品目が海外市場で支持を広げ、着実に成長を続けています。

しかし、政府が掲げる2030年「5兆円目標」に対しては、まだ道半ばの段階です。現在の約1.7兆円を6年で3倍に引き上げるためには、単に「良いものを作れば売れる」という発想を超えた、戦略的な取り組みが求められます。

その方向性を示す重要な変化がありました。2025年5月に公表された令和6年度の農業白書で、農林水産物・食品の輸出に関する章が初めて独立して設けられたのです。本記事では、EPA/FTAの活用と産地づくり支援事業の連携という「実践面」にフォーカスして解説します。

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なぜ今「農産物輸出5兆円」なのか──政策の背景と目標の構造

国内市場の縮小と「海外で稼ぐ力」への転換

日本の人口は減少局面に入っており、国内の食料市場は今後も縮小が見込まれています。農林水産省が繰り返し指摘しているのは、国内市場のみに依存する農業構造のままでは、生産基盤の維持すら困難になるという危機感です。

一方で、世界の食料市場は拡大を続けています。2030年時点で34カ国・地域の飲食料市場規模は約1,360兆円に達するとの予測があり、日本の輸出割合はまだ極めて低い水準にとどまっています。

こうした認識を背景に、2024年に成立した改正食料・農業・農村基本法では、輸出が農業政策の重要な柱として明確に位置づけられました。2025年4月に閣議決定された新たな食料・農業・農村基本計画では、2030年に向けた3つの目標が設定されています。

農林水産物・食品の輸出額
5兆円
2025年実績:1.7兆円
食品産業の海外展開による収益額
3兆円
2024年実績:1.6兆円
インバウンドによる食関連消費額
4.5兆円
合計「海外から稼ぐ力」12.5兆円

輸出実績の推移──1兆円突破から1.7兆円超へ

日本の農林水産物・食品の輸出額は、2021年に初めて1兆円を突破しました。その後、2023年に1兆4,541億円、2025年には1兆7,005億円と着実に成長を続けています。

2025年1-12月 農林水産物・食品の輸出額

日本の農林水産物・食品の輸出状況(1-12月)は極めて好調で、13年連続で過去最高を更新しました。

2025年 農林水産物・食品の輸出額

項目金額前年差前年比
1-12月累計 (少額貨物を含む)17,005億円+1,934億円+12.8%
うち米国2,762億円+333億円+13.7%
うち香港2,228億円+18億円+0.8%
うち台湾1,812億円+109億円+6.4%
うち中国1,799億円+118億円+7.0%
うち少額貨物1,031億円+52億円+5.3%

市場別の動向: 主要な輸出先すべてで前年超え。米国(+13.7%)や中国(+7.0%)が牽引しており、特に関税や輸入規制といった逆風の中でも増加を維持しています。
好調な品目・地域: 牛肉、米、緑茶、ぶりが過去最高を記録。地域別では米国、台湾、韓国などが好調です。
増加の要因: 世界的な日本食ブーム、訪日客による認知向上、健康志向を背景に、既存ルートの拡大だけでなく新規ルートの開拓が進んだことが要因です。

令和6年度農業白書の転換点

従来、輸出関連の記述は「トピックス」として扱われていましたが、2025年5月30日に公表された令和6年度の食料・農業・農村白書は独立した章として体系的に記述されました。
日本の農林水産物の輸出割合が他国と比べてなお低い水準にあることを指摘し、「成長する海外市場で稼ぐ方向に転換することが不可欠」と明記しています。

輸出拡大実行戦略の全体像──重点品目・ターゲット市場・推進体制

「プロダクトアウト」から「マーケットイン」へ

輸出政策の骨格となるのが「農林水産物・食品の輸出拡大実行戦略」です。2020年12月に策定され、直近では2025年5月に大幅な改訂が行われました。

この戦略の基本哲学は、「プロダクトアウトからマーケットインへの転換」です。国内市場向けの余剰品を海外に売るのではなく、最初から海外市場のニーズに合わせた品質・規格・価格で生産し、継続的・安定的に輸出する体制を構築するという考え方です。

重点品目とターゲット国・地域

戦略では、輸出拡大を特に推進する重点品目が指定されています。各品目についてターゲット国・地域と輸出戦略が明確に定められているのが特徴です。

重点品目主なターゲット市場2024年の動向
牛肉米国・EU・東南アジア・香港米国向けが好調、高級部位の需要拡大
いちご香港・台湾・シンガポール・タイインバウンド効果で認知拡大、輸出額は10年で約25倍
りんご台湾・香港・タイ台湾向け41.0%増と好調
緑茶米国・EU・東南アジア米国向け2.4%増、健康志向が追い風
日本酒米国・中国・EU・香港在庫調整一巡、米国向け11.6%増で回復
コメ・パックご飯香港・米国・シンガポール海外日本食レストランの増加で需要安定
ホタテ貝米国・EU・東南アジア米国向け60.1%増、輸出先多角化が進展
ぶり米国・EU・東南アジア米国での寿司・刺身需要が安定

推進体制の整備

2020年に設置された農林水産物・食品輸出本部が司令塔の役割を担い、2022年の輸出促進法改正では、品目ごとにプロモーション等を行う「認定団体」制度が創設されました。JFOODOJETROが現地での販路拡大を支援する体制も強化されています。

2025年改訂の注目ポイント
2025年5月の改訂では、従来の輸出促進施策に加えて、食品産業の海外展開インバウンドによる食関連消費の拡大に関する施策が新たに位置づけられました。輸出だけでなく、海外拠点からの収益やインバウンド消費との「好循環」を目指す戦略へと進化しています。

EPA/FTAをどう活かすか──関税メリットと実務のポイント

EPA/FTAとは何か──「関税を下げてもらう仕組み」

EPA(経済連携協定)とFTA(自由貿易協定)は、特定の国・地域の間で貿易の障壁を下げるための協定です。通常、農産物を輸出する際には相手国が定めた関税を支払う必要がありますが、EPA/FTAを活用すれば通常よりも低い「EPA税率」で輸出でき、価格競争力が大幅に向上します。

農産物輸出で注目すべき3つの協定

協定名参加国・地域発効時期農産物輸出での活用ポイント
CPTPP(TPP11)日本・ベトナム・マレーシア・カナダ・豪州など11カ国2018年12月東南アジア・環太平洋への幅広い品目の関税削減。段階的に関税率が下がる品目が多い
日EU・EPA日本・EU27カ国2019年2月
(2024年7月改正議定書発効)
日本酒・緑茶・牛肉等のEU向け関税削減。有機認証の相互承認も活用可能
RCEP日本・中国・韓国・ASEAN10カ国・豪州・NZの15カ国2022年1月日本初の中国・韓国との経済連携。2025年から日韓間で自己申告制度も利用可能に

原産地証明の実務──3つの証明方法

EPA税率を利用するには、輸出する産品が協定で定める「原産品」であることを証明する必要があります。原産地証明書には以下の3つの種類があります。

原産地証明の3つの方式と相談窓口

農産物は一般に原産地証明が比較的シンプルですが、加工食品になると原材料の原産地確認が複雑になるケースがあります。また、小規模事業者にとってはEPA制度の存在自体を知らない、あるいは手続きの煩雑さが障壁になっているという課題もあります。

「産地生産基盤パワーアップ事業」の仕組みと輸出への活用

事業の概要──TPP対策から始まった産地支援の柱

産地生産基盤パワーアップ事業は、産地の競争力を高めるための国の補助事業です。2015年度補正予算でTPP関連対策として創設された「産地パワーアップ事業」が前身で、2020年に拡充されました。水田・畑作・野菜・果樹・茶・花きなどあらゆる農作物を対象としています。

特に「新市場獲得対策」が輸出との関連が最も強い部分です。輸出や加工・業務用など新たな需要に対応するための生産量増加対策として、拠点事業者の育成や連携産地の体制強化に重点が置かれています。

事業を活用するためには、地域農業再生協議会や果樹産地協議会が作成する「産地パワーアップ計画」に取組主体として位置づけられる必要があります。農水省は優良取組事例集も公開しており、2024年3月公表の最新版では全国各地の成功事例が紹介されています。

GFPとフラッグシップ輸出産地──「輸出産地」を育てるエコシステム

GFP:輸出への第一歩を支えるプラットフォーム

GFP(Global Farmers / Fishermen / Foresters / Food Manufacturers Project)は、農水省が2018年から推進する輸出プロジェクトです。輸出に意欲のある生産者・事業者がコミュニティに登録し、段階的な支援を受けられる仕組みになっています。

2022年の輸出促進法改正により輸出事業計画の認定制度が整備され、認定事業者は補助事業の優先採択輸出促進税制(割増償却)を利用できます。

フラッグシップ輸出産地制度──2024年に始まった「トップランナー認定」

2024年には、優れた輸出実績を持つ産地を「フラッグシップ輸出産地」として認定する新制度が創設されました。認定産地には大臣認定証の授与、海外バイヤーとのマッチング、情報発信支援などが用意されています。

3つの制度の連携

産地パワーアップ事業で生産基盤を整え、GFPの支援を受けて輸出体制を構築し、フラッグシップ輸出産地の認定を目指す──この3制度は互いに連携して機能するよう設計されています。

3つの支援制度の連携と輸出事業計画の位置づけ

EPA × 産地づくり──政策を「組み合わせて使う」実践シナリオ

ここまで見てきたEPA/FTAの関税メリットと、産地づくり支援事業の内容を、実際にどう組み合わせて活用できるのか。具体的なシナリオで考えてみましょう。

シナリオ①:果樹産地がRCEPを活用してASEAN市場に挑む

日本産のいちごやりんご、ぶどうはアジアで高い評価を受けていますが、鮮度保持や残留農薬基準の対応、価格競争力に課題があります。産地パワーアップ事業で鮮度保持技術(CA貯蔵・MA包装)や選果設備を導入し、GFPの輸出診断でターゲット市場のニーズを把握。RCEPや日ASEAN・EPAのEPA税率で価格競争力を確保し、フラッグシップ輸出産地の認定を目指します。

シナリオ②:茶産地が日EU・EPAで欧州市場を開拓する

EUの厳格な残留農薬基準への対応が最大のハードルです。産地パワーアップ事業で有機栽培体系への転換と基準適合の農薬管理体制を構築。日EU・EPAで関税を削減し、原産地証明には自己申告制度でコスト削減。JFOODOの欧州プロモーションと連動して需要開拓と供給整備を両立させます。

活用ステップの整理

上記シナリオに共通する活用の流れを5つのステップに整理します。

(1)GFP登録と輸出診断
GFPコミュニティサイトに登録し、農水省・JETROの専門家による無料の輸出診断を受けます。自社の産品がどの市場でどのような条件で受け入れられるかを客観的に評価してもらいます。

(2)輸出事業計画の策定
輸出促進法に基づく輸出事業計画を作成し、農水省の認定を受けます。認定により補助事業の優先採択や輸出促進税制が適用されます。

(3)産地パワーアップ事業の活用
地域協議会と連携して産地パワーアップ計画を策定し、設備投資や生産体制の構築に対する補助を受けます。新市場獲得対策の枠組みで輸出向け生産量を拡大します。

(4)EPA税率の確認と原産地証明の準備
輸出先国に応じて利用可能なEPAを比較し、最も有利な関税率を選択。農水省のEPA利用相談窓口やJETROのEPA/FTAポータルで手続きを進めます。

(5)販路開拓と商流の構築
JETROの輸出支援プラットフォームや海外事務所を活用して商談・マッチングを実施。フラッグシップ輸出産地の認定を目指し、さらなる支援と信頼性の向上につなげます。

残された課題と今後の展望

5兆円目標のリアリティ

現在の約1.5兆円を2030年に5兆円へ引き上げるには、年平均で20%超の成長率が必要です。2024年の実績が前年比3.7%増であったことを考えると、これまでの延長線上の取り組みだけでは達成は困難であることは明らかです。

小規模事業者の参入支援

輸出に取り組む農業者や食品事業者の数は依然として限定的です。GFPへの登録者は増加していますが、実際に輸出を実現している事業者はごく一部にとどまります。EPA制度の利用率向上と合わせて、小規模事業者でも参入しやすい仕組みの整備が必要です。

輸出先の多角化

2024年の実績では中国向けが大きく減少しました。特定の市場への依存リスクが改めて浮き彫りになり、米国・EU・東南アジア・中東など新市場の開拓が急務です。複数のEPA/FTAを戦略的に活用することが一層重要になります。

物流と人材の壁

「物流の2024年問題」の影響は輸出向けサプライチェーンにも波及しています。コールドチェーンの整備や混載輸送の効率化、輸出実務を担う人材の確保・育成も産地の課題です。

まとめ

令和6年度の農業白書で輸出が独立した章として取り上げられたことは、日本の農業政策が「守り」から「攻め」へと転換する象徴的な出来事でした。

EPA/FTAという「関税の武器」と、産地パワーアップ事業・GFPという「足腰の強化策」は車の両輪です。どちらか一方だけでは5兆円目標の達成は難しく、両者を組み合わせて活用することで初めて、持続的な輸出拡大が実現します。

5兆円は野心的な目標ですが、世界市場における日本食の評価の高さ、EPA/FTAネットワークの広がり、そして産地支援の制度基盤を考えれば、決して非現実的ではありません。重要なのは、「良いものを作れば売れる」という待ちの姿勢から、「市場のニーズに応える産品を戦略的に届ける」という攻めの姿勢への転換です。

参考文献

政府戦略文書

農業白書

輸出統計データ

EPA/FTA関連

産地支援事業

GFP・輸出産地関連

シンクタンク調査