令和8年3月、米穀安定供給確保支援機構(米穀機構)は、生産から小売までの米のコストを積み上げた「米のコスト指標のイメージ」を初めて公表しました。精米5kgあたり2,811円、玄米60kgあたりの生産コストは2万437円という数字は、メディアでも大きな話題となっています。この指標はなぜ作られ、どのように算出され、何に使われるのでしょうか。食料システム法の施行という歴史的な転換点とあわせて、わかりやすく解説します。

第1章:なぜ今「コスト指標」が必要なのか――食料システム法の制定背景

令和6年夏から秋にかけて、日本各地でコメの品薄・価格高騰が社会問題となりました。店頭から5kgの袋が消え、精米価格は令和5年産の2,291円から、6年産には3,927円、7年産には4,770円前後まで上昇しました(消費者物価統計・農水省資料より)。

しかし、価格が上昇したのはここ数年のことです。それ以前の長い期間、生産者が受け取る概算金(生産→集荷の価格)は生産コストを下回ることも珍しくなく、農家が費やした労働・資材・機械のコストが取引価格に十分反映されてきませんでした。

この構造的な問題を解決するために制定されたのが、食料システム法(正式名称:食品等の持続的な供給を実現するための食品等事業者による事業活動の促進及び食品等の取引の適正化に関する法律)です。

食料システム法のポイント(令和8年4月1日施行)

  • 飲食料品等の取引において、費用を考慮した協議を誠実に行うことを努力義務として明確化
  • 農林水産大臣が認定した団体が、指定品目のコスト指標を作成・公表できる仕組みを創設
  • 指定品目(第一弾):米・野菜・飲用牛乳・豆腐・納豆
  • 努力義務が守られない場合、農林水産大臣が指導・助言・勧告・公表を実施
  • 不公正な取引方法に該当する場合は公正取引委員会へ通知

コスト指標が公表されると、生産者や集荷業者は「このコストを下回る価格での取引は平均的にコスト割れになる」という合理的な根拠を持って交渉テーブルに臨むことができます。これは、日本の米取引慣行における画期的な変化といえます。

第2章:コスト指標作成の経緯――準備会合から委員会合意まで

コスト指標の作成は、農水省と米穀機構が連携し、約半年をかけて段階的に進めてきました。以下にそのスケジュールを整理します。

■令和7年10月3日第1回準備会合(農水省主催)
 →食料システム法の概要、米の物価動向・流通価格の現状、コスト指標の制度設計について議論
■令和7年11月5日第2回準備会合(農水省主催)
 →コスト算定の具体的な方法論(データソース・物価補正の手法等)について議論
■令和7年12月22日第1回コスト指標作成等委員会(米穀機構内)
 →委員会設置・算定方法の本格的な検討開始
■令和8年1月22日第2回コスト指標作成等委員会
■令和8年2月24日第3回コスト指標作成等委員会
■令和8年3月6日第4回コスト指標作成等委員会
 →作成方法が合意に至り、暫定値「米のコスト指標のイメージ」を公表
■令和8年4月1日米穀機構が「認定指標作成等団体」として農水大臣に認定
 →食料システム法の施行日と同日。今後、最新統計で正式指標を年1回公表予定

委員会は、議長に西川邦夫・茨城大学教授を迎え、生産側(全農・ホクレン・農業法人協会)、集荷側(全集連)、卸売側(全米販)、小売側(日本スーパーマーケット協会・全国スーパーマーケット協会)の計8名の委員と5名のオブザーバーで構成されました。米が食料システム法の指定品目の中で最初にコスト指標の作成方法が固まった品目となります。

第3章:コスト指標の算出方法――何をどう積み上げるのか

コスト指標は、生産・集荷・卸売・小売の4段階のコストを積み上げた値です。重要な前提として、利潤(利益)は含まれません。取引価格そのものではなく、「コストとして最低限これだけかかっている」ことを示す指標です。

生産段階のコスト算出

生産コストのデータソースは農水省の「農産物生産費統計」です。種苗費・肥料費・農機具費・労働費・土地代などが含まれます。

代表的な作付規模として1.0ha以上3.0ha未満の農家のデータを採用しています。これは、中山間地も含む全国的な米生産の実態を幅広く代表するためです(後述のとおり、この点は議論を呼んでいます)。

家族労働費の算出には、厚生労働省「毎月勤労統計」における5〜29人規模の事業所・全産業・全国平均の一般労働者(パートタイムを除く)の時給を採用しています。長期的かつ家族全体で責任を持って従事する農業の実態を踏まえた選択です。

さらに、生産費統計の基準年からの変動を補正するために、農水省「農業物価指数」を用いて最新の物価水準に合わせた補正を行っています。

集荷・卸売・小売段階のコスト算出

生産以外の3段階については、米穀機構が各業者に対してコスト調査を実施し、その結果に関連統計(消費者物価指数・企業物価指数・毎月勤労統計等)を用いた物価補正を加えて指標値を算出しています。

コスト指標の算出構造

段階主なコスト内容データソース
生産種苗費、肥料費、農機具費、家族労働費、土地代 等農産物生産費統計(農水省)+農業物価指数で補正
集荷人件費、輸送費、保管費、施設費 等米穀機構によるコスト調査+各種統計で補正
卸売人件費、保管費、金融コスト 等同上
小売人件費、店舗費、輸送費 等同上

出典:農水省「米のコスト指標」準備会合資料、米穀機構「米のコスト指標に関する検討結果」(令和8年3月)をもとに作成

第4章:コスト指標の数値――令和8年3月時点の暫定値

令和8年3月6日に公表された暫定値(「米のコスト指標のイメージ」)は以下のとおりです。

米のコスト指標 各段階の数値(令和8年3月時点・暫定値)

段階玄米60kg換算
コスト(円)
玄米1kg換算
コスト(円)
前年同期比
生産20,437340.6▲ +716円
集荷2,54442.4▲ +72円
卸売2,34639.1▲ +66円
小売5,02883.8▲ +150円
合計(精米5kg換算)2,811円/精米5kg▲ +1,004円

出典:米穀機構「米のコスト指標に関する検討結果」(令和8年3月6日)※精米換算は歩留まり0.9と仮定

すべての段階でコストが上昇しており、前年同期比の合計は1,004円増となっています。令和7年3月時点の試算値2,718円から令和8年3月時点の2,811円へ、1年間で93円上昇した計算です。

コスト内訳の割合(玄米60kg換算・令和8年3月)

コスト全体の約3分の2は生産段階が占め、次いで小売段階(約17%)が続きます。集荷・卸売の比率は相対的に小さいことがわかります。

また、この数値を各年産の実際の流通価格と比較すると、コスト指標の意義がよりよくわかります。

生産コストと概算金(生産→集荷価格)の比較(各年産)

年産生産コスト
(支払利子・地代算入)
玄米60kg
概算金
(玄米60kg)
差引
令和5年産14,300円12,700円▲ 1,600円(コスト割れ)
令和6年産14,800円19,100円+4,300円
令和7年産(試算中)28,200円

出典:農水省「米のコスト指標」準備会合資料(第1回・第2回)をもとに作成

令和5年産では概算金が生産コストを下回るコスト割れの状態にあったことが確認できます。令和6年産以降は価格高騰により逆転していますが、それ以前の長い期間、コスト割れが常態化していたことが、コスト指標を制度化する背景にあります。

第5章:コスト指標は何に使われるのか――実務上の意義と限界

取引協議における活用

コスト指標の最大の意義は、取引条件の協議において「合理的な根拠のある指標」として活用できる点にあります。食料システム法では、生産者や集荷業者が「費用を考慮してほしい」と協議を申し入れた場合、買い手側は誠実に協議に応じることが努力義務とされています。その際に、農水大臣が認定した団体のコスト指標は、公的な根拠のある数値として参照されます。

「コスト指標を下回る価格での取引は、平均的にみるとコスト割れになる」という共通認識を業界全体で持つことが、適正な価格形成の出発点となります。

指導・助言・勧告の基準

農林水産大臣は、取引の実態を調査し、努力義務の実施状況が著しく不十分な場合は勧告・公表を行うことができます。コスト指標はその判断基準のひとつとなります。

重要:コスト指標は「取引価格の約束」ではありません

コスト指標はあくまでコストの積み上げ値であり、利潤を含みません。実際の取引価格は、需給状況・品質評価・ブランド力・各取引段階での利益を加味して当事者間で決定されます。コスト指標を下回る取引が直ちに違法になるわけではありませんが、合理的な費用を考慮した誠実な協議が義務付けられます

論点:1〜3haの作付規模基準への異論

コスト指標の作成方法をめぐっては、メディアでも議論が起きています。日本経済新聞・東京新聞などは、代表規模として採用された「1.0ha以上3.0ha未満」が小規模農家中心であり、実際の流通量の7割を担う3ha以上の大規模農家の生産費より高くコストが算出されている点を指摘しています。

一方、委員会や全国スーパーマーケット協会などは、中山間地を含む全国の農家の実態、および米の安定供給を維持するために必要なコスト水準を反映したものとして、おおむね妥当な内容であるとしています。3ha未満の農家が退場すれば大量の米不足が生じるという試算もあり、農業の持続性という観点から必要なコスト指標だという見方もあります。

農業ビジネス・農業参入を検討する法人にとっての意義

農業への新規参入や農業関連事業の事業計画を策定する企業にとっても、このコスト指標は重要な参照値となります。生産・集荷・卸売・小売の各段階のコスト構造が公的統計に基づく根拠のある数値として明示されたことで、事業計画や収支シミュレーションの精度を高めるために活用できます。

第6章:今後のスケジュールと注目点

令和8年4月1日、米穀機構は農水大臣から「米穀に係る認定指標作成等団体」として正式に認定されました。今後の注目点を整理します。

今後のスケジュールと注目点

時期・事項内容
令和8年4月以降(近く)米穀機構が最新統計・コスト調査に基づく正式コスト指標を公表予定(年1回更新)
継続ウォッチ政府の備蓄米買い入れ価格がコスト指標水準を下回らないか(業界からの注目点)
他品目への波及野菜・飲用牛乳・豆腐・納豆でも同様のコスト指標作成が進む見込み
取引慣行の変化食料システム法施行後、費用を考慮した協議が実際にどう定着するかを継続的に追う

出典:各報道・米穀機構資料をもとに作成

特に備蓄米の政府買い入れ価格については、コスト指標(玄米60kg・生産段階2万437円)を下回る水準で入札が設定されることは不合理との指摘も業界から出ており、今後の政策動向が注目されます。

まとめ

「米のコスト指標」は、食料システム法という新しい法律のもとで、生産から小売までの米のコスト構造を初めて公的に「見える化」した画期的な取り組みです。

精米5kg=2,811円というコスト水準は、現在の店頭価格(4,000円台)よりも低く、利潤を加えても適正な取引が可能であることを示すとともに、それを下回るような価格圧力がコスト割れを招くことを業界全体に示す指標となります。

課題はあります。代表規模の選定や、地域別指標の整備、実際の取引慣行への浸透といった点では引き続き議論が必要です。しかし「コストに基づく価格形成」という考え方が米取引に持ち込まれたこと自体が、大きな構造変化の始まりを意味します。

農業への新規参入を検討している事業者、農業関連ビジネスに携わる方、食料安全保障に関心をお持ちの方にとって、このコスト指標とそれを生んだ食料システム法の動向は、今後も注目すべき重要なトピックです。

参考文献・引用元

  1. 農林水産省「米のコスト指標」(農産局企画課)
    https://www.maff.go.jp/j/syouan/keikaku/soukatu/komecost.html
  2. 農水省「米のコスト指標作成のための準備会合(第1回)資料」(令和7年10月3日)
    https://www.maff.go.jp/j/syouan/keikaku/soukatu/attach/pdf/komecost-1.pdf
  3. 農水省「米のコスト指標作成のための準備会合(第2回)資料」(令和7年11月5日)
    https://www.maff.go.jp/j/syouan/keikaku/soukatu/attach/pdf/komecost-3.pdf
  4. 米穀機構「コスト指標作成等委員会 各回資料一覧」(令和7年12月〜令和8年3月)
    https://www.komenet.jp/pdf/CostCommittee.pdf
  5. 米穀機構「米のコスト指標に関する検討結果」(令和8年3月6日・コスト指標作成等委員会)
    https://www.komenet.jp/pdf/CostCommittee_R704_result.pdf
  6. 農業協同組合新聞(JAcom)「米の生産費2万円強に『コスト指標』作成方法で合意」(2026年3月9日)
    https://www.jacom.or.jp/kome/news/2026/03/260309-87965.php
  7. 農業協同組合新聞(JAcom)「3ha未満の農家退場で192万tの米不足 米のコスト指標が守るもの」(2026年4月3日)
    https://www.jacom.or.jp/kome/news/2026/04/260403-88515.php
  8. 農村ネットワーク「米の価格形成 2万437円/玄米60㎏ コスト指標作成方法で合意」(2026年3月17日)
    https://www.nouson-n.com/media/2026/03/17/10480
  9. 日本経済新聞「コメのコスト新指標『5キロ2800円』に異論」(2026年3月)
    https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2579H0V20C26A3000000/