2023年・2024年と2年連続で観測史上最高気温を更新し、猛暑日の発生回数は過去30年で約3.9倍に増加しました。大雨の年間発生回数も1980年頃と比較して約2倍に達しています。こうした気候変動の影響は、もはや「将来のリスク」ではなく、農業現場で日常的に体感される「現在進行形の危機」です。

特に深刻なのが、全国の農業産出額の約4割を担いながら、地形・規模・担い手の面で構造的な不利を抱える中山間地域の産地です。本記事では、農林水産省・農研機構の最新データをもとに、中山間地が直面するリスクの実態を整理し、データ駆動型農業が産地をどのように守るかを具体的に解説します。

第1章 中山間地が直面する「二重の脆弱性」

まず、中山間地域の農業的重要性を確認しておきましょう。農林水産省の定義では、中山間地域とは農業地域類型のうち中間農業地域と山間農業地域を合わせた地域を指します。その規模は、耕地面積・農家数・農業産出額のいずれでも全国の約4割を占め、決して「周辺的な農地」ではありません。

中山間地域の農業的位置づけ

全国耕地面積に占める中山間地の割合全国農家数に占める中山間地の割合全国農業産出額に占める中山間地の割合中山間地が占める総土地面積の割合
約4割約4割約4割約7割

出典:農林水産省「中山間地域等について」「資料:中山間地域等のデジタル活用による課題解決に向けて」(内閣府)

一方で、中山間地域は平野部と比べて複数の構造的不利を抱えています。農地の傾斜・小区画による機械化の難しさ、人口減少と担い手の高齢化(2024年、基幹的農業従事者の71.7%が65歳以上)、デジタル人材の不足——これらは気候変動以前から存在する課題です。

ここに気候変動が重なると、「構造的脆弱性」と「気候リスク」の二重の問題が生まれます。具体的には次の二つの側面から圧力がかかります。

  • 作物への影響:高温障害による品質・収量の低下、病害虫の分布拡大、栽培適地の移動
  • 農地・インフラへの影響:豪雨・土砂崩れ・地すべりによる農地損壊と産地機能の喪失

ポイント:中山間地の棚田・段々畑は、洪水防止・土砂崩壊防止といった多面的機能を担っています。農地が失われることは、農業生産の低下だけでなく、地域全体の防災機能の喪失にも直結します。

第2章 何が起きているか:作物・産地への具体的影響

農林水産省が令和8年2月に公表した「農林水産分野における気候変動への適応に関する取組と今後の対応方向」では、日本の農業が既に受けている影響と将来予測が詳細に整理されています。中山間地に特に関連する影響を、作物種別に見ていきます。

2-1 水稲:高温が直撃する棚田産地

水稲の高温障害は、中山間地の棚田産地に深刻な影響を与えています。農研機構農業環境研究部門が1㎞メッシュの気象データと白未熟粒率推定モデルを用いた分析によると、登熟期の高温が白未熟粒の増加と1等米比率の低下をもたらすことが明確に示されています。

将来予測では、CO₂濃度が増加し続ける高位参照シナリオ(RCP8.5)のもとで品種・栽培技術が変わらないと仮定した場合、今世紀末の日本全体の水稲収量は20世紀末比で約80%に減収し、白未熟粒率の全国平均値は約40%に達すると予測されます。

中山間地固有のリスク:平野部の大規模水田であれば大型機械によるタイムリーな収穫時期調整が可能ですが、棚田・小区画の中山間水田では機械の導入が難しく、対応の選択肢が限られます。さらに、標高差による微気象の違いが圃場ごとのリスクを複雑化させています。

2-2 果樹・野菜:産地の「地理的優位性」が揺らぐ

中山間地の果樹・野菜産地は、かつて「涼しさ」を競争力の源泉としてきました。しかし、気候変動はその優位性を侵食しつつあります。

  • リンゴ・温州ミカン:栽培適地が北方・内陸に移動することが予測されており、現産地での生産継続が困難になる可能性があります。
  • ブドウ:高温による着色不良の発生頻度が主産県で上昇しており、外観品質の低下が価格形成に影響します。
  • 高冷地野菜(レタス・キャベツ等):短期的には「涼しさ」を維持できる可能性がある一方、豪雨・霜害の不規則化が生育スケジュールを狂わせます。

2-3 農地・インフラ:「豪雨×急傾斜」という最大リスク

2024年の能登半島豪雨では、農地の冠水・地すべり・水路崩壊が広域で発生し、産地機能が一時的に失われた地区もありました。気候変動による大雨の年間発生回数の増加(1980年比で約2倍)は、傾斜地農地を多く抱える中山間地において「災害による産地崩壊」というリスクを現実のものとしています。

図表2:中山間地の農業に対する気候変動影響マトリクス

影響分類作物・対象現状の影響今世紀末の将来予測
高温障害水稲深刻
白未熟粒増加、1等米比率低下
収量が20世紀末比で約80%に減収(RCP8.5)、白未熟粒率約40%
栽培適地移動リンゴ・温州ミカン拡大中
品質低下、産地の競争力低下
栽培適地が北方・内陸に移動。現産地での生産継続困難リスク
着色不良ブドウ拡大中
主産県で着色不良の発生頻度上昇
高温が続く場合、主産県での着色不良がさらに増加
生育不良葉菜類(レタス・キャベツ等)拡大中
高温・多雨による生理障害
気温上昇により生育時期が早まり、栽培スケジュール管理が複雑化
気象災害農地・施設全般深刻
豪雨による農地冠水・地すべり激甚化
大雨発生頻度の増加により農地・農業用施設の被害リスクが継続上昇

出典:農林水産省「農林水産分野における気候変動への適応に関する取組と今後の対応方向」(令和8年2月)、農研機構水稲高温障害資料(令和7年6月)をもとに作成

第3章 データ駆動型農業とは何か:中山間地における位置づけ

「データ駆動型農業」とは、IoT・AI・衛星データ等を活用して農業の意思決定をデータに基づいて行う農業の総称です。農林水産省はこれを「スマート農業」と呼び、令和6年にスマート農業技術活用促進法を施行しました。

重要なのは、農水省が令和7年5月公表の「省力化投資促進プラン」において、「中山間地域を含む多様な地域課題に対応したスマート農業技術の開発・実用化」を明示的に推進方針として掲げた点です。これは、従来「平地向け」とされがちだったスマート農業を、中山間地の気候変動適応の文脈に引き寄せる政策転換を意味します。

気候変動適応の文脈では、中山間産地におけるデータ活用を以下の3つの層に整理できます。

1.圃場センシング
気象・土壌・生育のリアルタイム把握
IoT気象センサー(気温・湿度・降雨量・風速)、土壌水分センサー、植物体センサーにより、圃場ごとの微気象を連続モニタリングします。中山間地では標高差・斜面方位によって圃場間の気象条件が大きく異なるため、平地より高密度なセンシングが必要です。

2.意思決定支援
データに基づく栽培管理・出荷判断
収集したデータをAI・統計モデルで分析し、「いつ追肥すべきか」「収穫適期はいつか」「病害虫の発生リスクはどの程度か」を数値で示します。農研機構はWAGRI(農業データ連係基盤)を通じた栽培管理支援情報の高度化を社会実装の目標として研究を進めています。

3.産地統合管理
複数農家のデータ集約と産地全体の最適化

農水省令和6年度白書で紹介された「精密出荷予測システム」が好例です。複数農家の栽培履歴・生育データを集約し、収穫時期・収穫量を予測することで、予冷庫・物流の計画的手配が可能になり、産地全体のコスト削減と品質向上を実現します。

出典:農林水産省「スマート農業技術の活用と今後の展望」(令和6年度食料・農業・農村白書特集3)、農研機構「気候変動適応策研究領域」をもとに作成

WAGRIとは:農業データ連係基盤(Wide Area Grid for Rural Infrastructure)の略称。農研機構が中心となって整備するクラウドプラットフォームで、気象データ・土壌データ・農業機械データ等を標準APIで連係し、民間の農業アプリやサービスが活用できる仕組みです。農水省はこのプラットフォームを通じた栽培管理支援情報の社会実装を進めています。

第4章 具体的な適応策:何をどの順序で実装するか

農林水産省の適応計画は、適応策を「短期的に対応可能なもの(S)」と「長期的な意思決定が必要なもの(L)」に分類しています。これを中山間地の現場に引き寄せてロードマップとして整理します。

中山間産地の気候変動適応ロードマップ

短期高温耐性品種への転換:水稲「にじのきらめき」等、農研機構開発の高温耐性品種を計画的に導入。品質等級の安定化と市場競争力の維持が目的
作付け・収穫時期の分散:登熟期の高温曝露を最小化するよう田植え時期を調整。データに基づいて最適時期を逆算する
遮光・遮熱資材の活用:リンゴ・ミカンの日焼け被害を防ぐ遮光資材を導入。即効性が高く初期投資も比較的少ない
農業版BCPの策定:豪雨・台風などの気象災害を想定した事業継続計画を産地単位で策定(農水省公開のチェックリスト活用)
中期IoT気象観測網の整備:産地内の複数ポイントに気象センサーを設置。圃場ごとの微気象マップを作成し、豪雨・霜害の早期警戒体制を構築
精密出荷予測システムの導入:収穫時期・収穫量データを産地全体で共有し、予冷庫・物流の計画的手配でコストを削減。農水省令和6年白書の実証事例(加工キャベツ産地)が先行モデルとなる
WAGRIを活用した栽培管理支援の高度化:農業データ連係基盤にセンサーデータを接続し、病害虫発生予測・施肥推薦を自動化
A-PLATを用いた地域気候変動適応計画の策定:市町村・農協・農家が連携して10年単位の産地適応計画を策定
長期品目・品種ポートフォリオの再編:気候変動後の栽培適地予測(A-PLAT将来展望ツール等)を用いて、現在の主力作物に加え、将来適地となりうる品目への転換計画を立案
「高標高・内陸」の地理的優位性の再定義:温暖化が進むほど、相対的に涼しい中山間地の価値は高まりうる。この優位性を最大化するための品質特化・ブランド戦略を設計
農地・水利インフラのデータ管理と強靭化:ため池・用水路等の施設情報をGIS・3Dデータで管理し、豪雨時の被害予測と優先修繕計画を効率化(農水省「三次元データを活用した災害復旧業務効率化の手引き」参照)

重要な視点:個別農家が単独で取り組む適応策には限界があります。特に中山間地では、センサー設置コスト・データ解析人材・品種転換の初期負担が重くのしかかります。産地単位でコストを分担し、農協・行政・農業支援サービス事業者が連携する「産地ぐるみの適応」こそが、持続可能な解決策です。

第5章 制度・支援策を使い倒す

適応策の実施には初期コストが伴います。しかし、現在は農水省を中心に多彩な支援制度が整備されています。以下に、中山間地の気候変動適応に特に関連する制度をまとめます。

中山間産地の気候変動適応に活用できる主な支援制度・情報ツール

制度・ツール名内容・特徴主な活用場面
農林水産省気候変動適応計画
(令和3年改定)
品種転換・ICT制御機器整備・適応技術の普及等を支援する政策フレーム。みどりの食料システム戦略と連動産地の適応計画立案の根拠資料として
強い農業づくり総合支援交付金
(産地基幹施設等支援タイプ)
気候変動・災害リスクに対応した産地の基幹施設整備を支援。高温対策設備・IoT機器も対象にセンサー・システム導入の初期投資軽減
スマート農業技術活用促進法
(令和6年施行)
生産方式革新実施計画の認定を受けた産地が技術導入支援を受けられる。中山間地対応技術の開発を重点化産地ぐるみのスマート農業導入
農業版BCP・チェックリスト
(農水省公開)
自然災害リスクに備えた事業継続計画書のひな形と確認リストを無料提供豪雨・台風シーズン前の産地リスク管理
地球温暖化影響調査レポート
(農水省・毎年更新)
都道府県協力のもと、農業現場での影響と適応事例を集積。A-PLAT上で過去データも検索可能自産地の影響把握・比較産地の事例収集
A-PLAT(気候変動適応情報プラットフォーム)
(国立環境研究所)
地域別の将来気温・降水量予測WebGIS、地域気候変動適応計画作成支援ツールを無料提供産地の将来気候予測・長期適応計画策定
中山間地域等直接支払制度農業生産条件が不利な中山間地において営農継続に取り組む農業者を直接支援適応策実施のための経営基盤安定化

出典:農林水産省各制度ページ、国立環境研究所A-PLAT(2025年)をもとに作成

特にA-PLATの「地域気候変動適応計画作成支援ツール」は、市町村や農協が無料で使える計画策定支援ツールです。産地として取り組みを始める際の最初のステップとして、まずこのツールで自地域の将来気候予測を確認することをお勧めします。

また、農水省が毎年更新する「地球温暖化影響調査レポート」には、都道府県ごとの農業現場での影響事例と適応策が蓄積されています。自産地と類似した条件の先行事例を探す際に有用です。

まとめ データが産地の未来を守る

気候変動は、中山間地の農業にとって確かに大きな脅威です。しかし、重要な視点があります。「涼しさ」という中山間地の地理的特性は、温暖化が進むほど相対的希少価値が高まるという逆説です。標高が高く、内陸に位置する産地ほど、今後の気候変動においても「栽培可能な場所」として評価される可能性があります。

その優位性を守り、活かすために必要なのが、データに基づく戦略的な産地運営です。個別農家の経験と勘に頼るのではなく、産地全体で気象・生育データを共有し、品種・作型・出荷計画を科学的に最適化する。これが、気候変動時代の中山間産地が選ぶべき方向です。

考文献・引用資料

  1. 農林水産省「農林水産分野における気候変動への適応に関する取組と今後の対応方向」(令和8年2月)
    https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/kikohendo_tekio_all.pdf
  2. 農林水産省「農林水産分野における気候変動への適応に関する取組」(令和7年2月)
    https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/kikohendo_tekio_1.pdf
  3. 農林水産省「農林水産省気候変動適応計画」(令和3年改定)
    https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/climate/adapt/top.html
  4. 農林水産省「令和6年度 食料・農業・農村白書」(2025年公表)
    https://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/r6/zenbun.html
  5. 農林水産省「スマート農業技術の活用と今後の展望」(令和6年度白書 特集3)
    https://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/r6/r6_h/trend/part1/chap0/c0_1_03.html
  6. 農林水産省「食料・農業・農村基本計画(令和7年4月11日 閣議決定)」
    https://www.maff.go.jp/j/press/kanbo/kihyo01/250411.html
  7. 農林水産省「中山間地域等について」
    https://www.maff.go.jp/j/nousin/tyusan/siharai_seido/s_about/cyusan/
  8. 内閣府・農林水産省「省力化投資促進プラン(農業分野)」(令和7年5月)
    https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai34/shiryou16-12.pdf
  9. 内閣府「資料10:中山間地域等のデジタル活用による課題解決に向けて」(デジタル田園都市国家構想 第5回会議)
    https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/digital_denen/dai5/siryou10.pdf
  10. 農研機構農業環境研究部門「令和5・6年猛暑年の特徴、及び水稲作への影響と対策技術」(関東農政局WEB勉強会資料、令和7年6月)
    https://www.maff.go.jp/kanto/seisan/nousan/suiden/kouon/attach/pdf/250120-21.pdf
  11. 農研機構「気候変動適応策研究領域(農業環境研究部門)」
    https://www.naro.go.jp/laboratory/niaes/introduction/chart/04/index.html
  12. 国立環境研究所「気候変動適応情報プラットフォーム(A-PLAT)」
    https://adaptation-platform.nies.go.jp/
  13. 農林水産省「地球温暖化影響調査レポート」(毎年更新)
    https://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/ondanka/report.html
  14. 内田ほか「日本の気温上昇の農業影響と農家の適応」『環境経済・政策研究』Vol.18, No.2(2025年9月)
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/reeps/18/2/18_rev1802-004/_pdf/-char/ja
  15. 農林水産省農産局農業環境対策課「農林水産省気候変動適応計画について」(野菜情報 2025年8月号掲載)
    https://vegetable.alic.go.jp/yasaijoho/wadai/2508_wadai1.html