農業従事者の激減という危機を背景に、日本でもICTやIoTによるデータ活用で作業効率化を目指す精密農業(プレシジョン・アグリカルチャー)への投資が加速しています。農林水産省によれば、基幹的農業従事者は今後20年間で現在の約4分の1にまで減少すると見込まれており、従来の生産方式のままでは食料の安定供給が難しくなる局面を迎えつつあります。
では、その解決策として期待される精密農業の市場は、実際にどれくらいの規模で、どこまで伸びるのでしょうか。本記事では、矢野経済研究所や農林水産省などの最新データをもとに、日本の精密農業市場の規模・将来予測・欧米との差・成長領域を数字で整理します。
なお、精密農業の技術トレンドや政策の詳しい解説は、別記事「精密農業(プレシジョン・アグリカルチャー)の最前線:欧米の技術トレンドと日本への展開を解説」でまとめています。本記事は「市場規模と数字」に絞ってお届けします。
日本の精密農業市場の規模はいくらか【2025年最新】
国内の市場規模を継続的に調査・公表している代表的なデータ源が矢野経済研究所ですが、同社の調査では「精密農業」は「スマート農業」を構成する7分野のうちの1つとして位置づけられています。具体的には、①栽培支援ソリューション、②販売支援ソリューション、③経営支援ソリューション、④精密農業(GPSガイダンスシステム、自動操舵、ロボット農機システム等)、⑤衛星リモートセンシング、⑥農業用ドローンソリューション、⑦農業用ロボットの7分野です。つまり、精密農業は「スマート農業」という大きな枠のなかに含まれる一分野、という関係になります。
そのため、国内の市場規模を語るときは、まず精密農業を含む「スマート農業全体」の数字を押さえ、そのうえで精密農業というセグメントを捉えるのが分かりやすくなります。以下では、この関係を前提に「スマート農業全体」の規模から見ていきます。
その全体規模ですが、矢野経済研究所の調査によると、2025年度の国内スマート農業市場規模(事業者売上高ベース)は、前年度比115.2%の455億200万円の見込みです。この455億円は、上記7分野を合計した「スマート農業全体」の市場規模であり、精密農業単独の数字ではない点にご注意ください。
市場拡大の背景として、矢野経済研究所は次の要因を挙げています。
- 米価高騰により生産者の所得向上への期待感が高まり、設備投資意欲が回復したこと
- スマート農機導入に関する補助事業が進んだこと
- RTK基地局など、自動化システムを支えるインフラ整備が全国的に進んだこと
特に大規模生産者を中心に、GPSガイダンスシステム・自動操舵・ロボット農機システムといったスマート農機の導入が全国的に広がっています。なお、この市場規模には農機・ドローンなどのハードウェアや農業向けPOSシステムは含まれず、ソフトウェア・サービスの事業者売上高ベースで算出されている点も押さえておきましょう。
【将来予測】日本の精密農業市場はどこまで伸びるか
将来予測について、矢野経済研究所は2031年度の国内スマート農業市場規模を969億400万円まで拡大すると予測しています。2025年度の455億円と比べると、約2.1倍の成長です。
市場規模の推移と予測を図で示すと、次のようになります。図1:スマート農業の国内市場規模の推移と予測(矢野経済研究所調べ)
| 年度 | 市場規模 | 備考 |
|---|---|---|
| 2024年度 | 約331億5,400万円 | 前年度比109.9% |
| 2025年度(見込) | 455億200万円 | 前年度比115.2% |
| 2031年度(予測) | 969億400万円 | 2025年度比 約2.1倍 |
矢野経済研究所は、スマート農業について「生産現場のみの領域では小さい市場だが、取得したデータをAIによって分析・加工することで、農業・食品関連業界向けの新たなサービスへ発展させる可能性がある」と指摘しています。つまり、データ活用によって市場の裾野そのものが広がっていくという見立てです。
なぜ調査会社によって市場規模の数字がバラバラなのか
「日本の精密農業市場」を調べると、調査会社によって数字が大きく異なることに気づきます。これは誤りではなく、各社で「対象範囲」「通貨」「集計方法」が異なるためです。数字を引用する際は、必ず前提を確認する必要があります。表1:主な調査における「日本の市場規模」の違い
| 調査主体 | 対象範囲 | 2025年前後の規模 | 通貨・基準 |
|---|---|---|---|
| 矢野経済研究所 | スマート農業全体(精密農業を含む7分野) | 455億円(2025年度見込) | 円・事業者売上高ベース |
| レポートオーシャン | 精密農業 | 6億210万米ドル(2025年) | 米ドル建て |
たとえば、レポートオーシャンは日本の精密農業市場を2025年の6億210万米ドルから2035年には14億9,350万米ドルへ、年平均成長率(CAGR)9.51%で拡大すると予測しています。一方、矢野経済研究所の455億円は円建てかつ「スマート農業全体」の数値です。両者は対象範囲も通貨も異なるため、単純に横並びで比較することはできません。
実務上のおすすめは、国内の実態把握には矢野経済研究所(円建て・事業者売上高ベース)を、グローバル比較には海外レポートを、それぞれ定義を明記したうえで使い分けることです。数字の一人歩きを避けるためにも、出典と定義をセットで示すことをおすすめします。
欧米との差はどこにあるか
精密農業の効果を最大限に引き出すには、ある程度の経営規模が必要です。この点で、日本と欧米の間には構造的な差があります。
普及率で見る欧米との差
導入の進み具合を示すデータとして、米国会計検査院(GAO)によれば、2023年には米国の農場・牧場の約27%が精密農業を実践しているとされます。GPS・土壌センサー・自動誘導システムといった基礎技術が、すでに実際の経営に組み込まれている水準です。
市場全体の構造を見ても、地域差は明確です。北米は技術導入と農法改善が広く進んでいることを背景に精密農業市場を支配しており、欧州は厳しい環境法制と政府支援を背景に主要市場を形成しています。欧州ではEUのグリーンディールと共通農業政策(CAP)が、農薬・肥料の使用削減という環境目標の達成手段として精密技術の導入を後押ししているのが特徴です。
「規模の壁」という構造的な違い
こうした欧米の普及を支えているのが、経営規模の大きさです。日本の小規模・分散型の圃場構造は、大型農機の効率的な稼働や高額な精密農業機器の費用対効果という面で不利になりやすく、これが「規模の壁」と呼ばれます。
この規模の差や、日本が2000年代初頭から精密農業に取り組んできた歴史的経緯については、既存記事で詳しく解説しています。あわせてご覧ください。
成長領域はどこか|伸びるセグメント
市場全体の成長のなかでも、特に伸びが期待される領域があります。矢野経済研究所や農林水産省のデータから、注目のセグメントを整理します。
衛星リモートセンシング
矢野経済研究所が「注目トピック」として挙げるのが衛星リモートセンシングです。普及の背景として、①気候変動・異常気象によるリスク増加、②化学肥料の高騰による散布ムラ把握ニーズ、③人手不足・圃場大規模化による巡回コストの限界、という3つの要因が指摘されています。
課題として、中山間地域では通信インフラが脆弱なため画像精度が低下する点が挙げられますが、通信網の高速化や「みちびき」衛星の精度向上により、今後さらに普及が進むと見られています。さらに、生産者だけでなく自治体・金融機関・農業資材会社などへの広がりも予想されています。
精密農業(自動操舵・ロボット農機)
矢野経済研究所の分類で「精密農業」に含まれるGPSガイダンスシステム・自動操舵・ロボット農機システムは、RTK基地局の整備を背景に、大規模生産者を中心に導入が先行しています。市場拡大を牽引する中核セグメントです。
データ連携基盤とAIによる市場創造
前述のとおり、スマート農業は生産現場だけを見れば小さな市場です。しかし取得したデータをAIで分析・加工し、農業・食品関連業界向けの新サービスへ発展させることで、より大きな市場を創造できるというのが矢野経済研究所の将来展望です。生産者・農業資材メーカー・JA・自治体・食品関連事業者などが連携することで、市場の質的な拡大が見込まれます。
市場拡大を支える政策と制度
市場成長の土台には、国の政策的な後押しがあります。農林水産省は2024年(令和6年)にスマート農業技術活用促進法を施行し、技術の開発・普及に向けた本格的な取り組みを進めています。
また、農林水産省・農研機構によるスマート農業実証プロジェクトは、これまでに全国217地区で実施されており、ロボット・AI・センサーを活用した作物管理や農作業の最適化が現場で検証されています。KPIとしては、スマート農業技術を活用した農地面積の割合を引き上げる目標が掲げられています。
これらの制度や補助の詳細については、既存記事および農林水産省の一次情報をご確認ください。制度面の解説は既存記事に譲り、本記事では市場規模との関係にとどめます。
まとめ|日本の精密農業市場をどう捉えるか
本記事の要点を整理します。
- 日本のスマート農業市場(精密農業を含む7分野)は、2025年度455億円の見込みから、2031年度には969億円へと約2.1倍に拡大する見通し(矢野経済研究所)
- 「精密農業市場」の数字は調査会社ごとに定義・通貨・集計方法が異なるため、出典と前提の確認が必須
- 米国では農場の約27%が精密農業を実践するなど欧米とは普及・規模で差があり、日本は「規模の壁」という構造的課題を抱える
- 成長領域は衛星リモートセンシング、自動操舵・ロボット農機、データ連携×AI
数字だけを見れば欧米に差をつけられている日本の精密農業市場ですが、政策的な後押しと成長領域の拡大により、着実に伸びる軌道に乗りつつあります。市場データを引用する際は、「どの調査会社の、どの定義の数字か」を必ず確認する——このひと手間が、精度の高い意思決定につながります。
技術トレンドや日本型精密農業の方向性については、こちらもあわせてご覧ください。
参考文献
矢野経済研究所「スマート農業に関する調査を実施(2025年)」(2026年4月)
https://www.yano.co.jp/press-release/show/press_id/4094
矢野経済研究所「2026年版 スマート農業の現状と将来展望」
https://www.yano.co.jp/market_reports/C67110400
農林水産省「スマート農業」
https://www.maff.go.jp/j/kanbo/smart/
農林水産省「特集3 スマート農業技術の活用と今後の展望」(令和6年度食料・農業・農村白書)
https://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/r6/r6_h/trend/part1/chap0/c0_1_03.html
農研機構「スマート農業実証プロジェクト」
https://www.naro.go.jp/smart-nogyo/
レポートオーシャン「日本精密農業市場、2035年に14億9,350万米ドルに達する見込み」(2026年7月)
https://www.atpress.ne.jp/news/8880281
SDKI「精密農業市場予測:世界の業界傾向と成長分析 2026-2035年」
https://www.sdki.jp/reports/precision-agriculture-market/111412
IMARC「精密農業の世界市場」(プレスリリース)
https://www.imarcgroup.com/pressrelease/ja/precision-agriculture-market-statistics
PC-Webzine「スマート農業市場は2031年度に969億円超へ」(2026年7月)
https://www.pc-webzine.com/article/3847
OPTRONICS ONLINE「スマート農業市場、2025年度は455億200万円規模に」(2026年5月)
https://optronics-media.com/news/20260519/109796/
SMART AGRI「日本における精密農業、スマート農業の歩みを振り返る(北海道大学 野口伸教授)」
https://smartagri-jp.com/smartagri/966
