はじめに:深刻化する世界の食料需給
私たちの食卓を支える食料システムが、かつてない危機に直面しています。途上国を中心とした世界人口の急増による食料需要の増加、気候変動による異常気象の頻発化、地政学的リスクの高まりにより、世界の食料需給は著しく不安定化しています。
2025年3月に米国農務省が発表した資料によると、2024/25年度における世界の穀物消費量は28億6千万トンに達する見込みです。生産量は主に単収の伸びにより28億3千万トンとなる見込みですが、期末在庫率は前年度比1.7ポイント低下し26.5%となっています。
特に注目すべきは、中国を除いた場合の期末在庫率がわずか12.0%にとどまっているという事実です。FAO(国際連合食糧農業機関)が安全在庫水準としている17~18%を大きく下回っており、世界的な不作が発生した場合には、食料不足や価格高騰が起こりやすい極めて脆弱な状況にあります。
気候変動が引き起こす食料生産への深刻な影響
地球の平均気温は100年当たり1.26℃の割合で上昇し、世界平均の2倍近い上昇率で温暖化が進んでいます。この気候変動は、農業生産に深刻な影響を及ぼしています。
全国各地での記録的な豪雨や台風等の頻発、高温が農林水産業における重大なリスクとなっており、作物の収量減少・品質低下、漁獲量の減少など、生産現場に大きな影響が生じています。さらに、病害虫がまん延し、主に薬剤防除により対応する中、薬剤抵抗性を獲得した病害虫が発生する事態も生じており、生産環境の改善に向けた環境負荷軽減が喫緊の課題となっています。
「プラネタリー・バウンダリー」(地球の限界)の概念では、9つの項目のうち、気候変動、生物多様性、土地利用変化、窒素・リンの4項目で境界をすでに超えているとされています。このままでは生態系の均衡が不可逆的に移行し、負の現象が連鎖的に起こる危険性が指摘されています。
日本の食料供給の実態:深刻な輸入依存
日本の食料供給を見ると、国産と輸入先上位4カ国(米国、豪州、カナダ、ブラジル)で、供給熱量の約8割を占めています。この過度な輸入依存は、平時でも食料の安定供給を脅かすリスクを高めています。
2023年度のカロリーベースの食料自給率は38%、生産額ベースの食料自給率は61%にとどまっています。原産国の不作等による穀物価格の急騰や、化学肥料の原料産出国の輸出規制による調達量の減少が生じた場合には、思うような条件での輸入が困難となり、国民の食生活に深刻な影響を及ぼす可能性があります。
新たな食料・農業・農村基本計画においては、2030年度を目標年度として、供給熱量ベースで45%、生産額ベースで69%という食料自給率の目標が設定されています。しかし、この目標達成には大きな課題が立ちはだかっています。
日本農業が直面する構造的課題
日本の農業は、食料自給率の低さだけでなく、生産者の急速な減少や高齢化という深刻な構造的課題に直面しています。2025年農林業センサスによると、農業経営体は減少しつつ法人経営が増加しているものの、全体としての生産基盤の脆弱化は避けられない状況です。
生産者の減少に伴い、農地の適切な管理や、野菜・果樹など労働集約的な作業に従事する者の不足など、生産活動への支障が顕在化しています。また、集落の消滅など、地域コミュニティの衰退も深刻な懸念となっています。
さらに、農業生産資材の供給状況や価格動向も大きな課題です。化学肥料の原料の多くを輸入に依存している現状では、国際情勢の変化により調達が不安定化するリスクが常に存在します。
食料安全保障確保に向けた国内生産の重要性
このような状況の中、食料安全保障の確保に向けた国内生産の増大は、単なる政策目標ではなく、国家の存続に関わる重要課題となっています。
新たな基本計画では、「農地、人や生産資材等の資源を確保し、それらと、農業生産基盤の整備・保全、先端的技術の開発・普及が効率的に組み合わされた農業構造へ転換し、土地生産性及び労働生産性を向上させることにより、食料自給力を確保する」という方針が明確に打ち出されています。
具体的には、主食用米の需要が減少する中、食料安全保障の観点から農地を最大限活用していくため、主食用米から輸入依存度の高い小麦や加工・業務用野菜等の需要のある作物への本格的な転換を一層進めることが重要とされています。
施設園芸の役割:周年安定供給の要
日本の食料供給において、施設園芸は周年安定供給の重要な役割を果たしています。園芸作物である野菜、果樹、花きの2023年の産出額は3兆6,355億円となっており、日本の農業総産出額の約4割を占めています。
例えば、トマトはかつて露地栽培で夏に収穫されていましたが、施設園芸の普及により周年出荷が可能となっています。このような施設園芸による生産体制は、消費者の多様なニーズに応え、安定的な食料供給を実現する上で不可欠な存在です。
品目別食料支出割合の今後の推移を見ると、内食から中食への食の外部化が一層進展し、生鮮食品から加工食品や調理食品へのシフトが加速化する見込みです。このような食料消費形態の変化に応じた需給ギャップの解消を図り、加工・業務用需要を取り込んでいくことが、今後の日本農業の発展に不可欠です。
みどりの食料システム戦略:持続可能な農業への転換
気候変動時代における食料安全保障の確保には、生産力向上と持続性の両立が不可欠です。この実現に向けて策定されたのが「みどりの食料システム戦略」です。
この戦略は、食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現することを目指しています。具体的には、資材・エネルギー調達における脱輸入・脱炭素化・環境負荷軽減の推進、イノベーション等による持続的生産体制の構築、ムリ・ムダのない持続可能な加工・流通システムの確立などが掲げられています。
スマート農業の技術は、作業の省力化・省人化、作業の安全性向上、化学農薬・化学肥料の使用量低減などの様々な効果が期待されています。そのメリットは、大規模経営だけでなく、中小・家族経営も、また、平地から中山間地域、若者から高齢者など、それぞれの者が享受することができます。
不測の事態に備えた備蓄の重要性
食料安全保障の確保において、備蓄は平時において実施する重要な措置の一つです。日本政府は、国内の米の生産量の減少によりその供給が不足する事態に備え、米を100万トン程度備蓄しています。
また、海外における不測の事態の発生による供給途絶等に備えるため、食糧用小麦については国全体として外国産食糧用小麦の需要量の2.3カ月分を備蓄し、そのうち1.8カ月分の保管料を政府が支援しています。飼料穀物についてはとうもろこし等約100万トンを民間で備蓄し、そのうち75万トン分の保管費等を政府が支援しています。
諸外国でも、各国の状況・考えに応じて食料の備蓄を行っています。スイスでは、備蓄は食料の供給不足の兆候が表れた際に、迅速に対応できる手段として特に重要であると考えられており、コーヒーまで備蓄しているのが特徴です。フィンランドでは、ロシア・ウクライナ情勢等を踏まえ、穀物の緊急備蓄を6カ月から9カ月に拡大しています。
国際戦略の展開:EPA/FTAの活用
食料安全保障の確保と農業の持続的発展を両立させるためには、国内生産の増大を基本としつつ、国際戦略の展開も重要です。
2025年3月時点で、日本は21のEPA/FTA等が発効済・署名済であり、これらの協定により、世界経済の約8割を占める巨大な市場を構築することになります。輸出先国・地域の関税撤廃等の成果を最大限活用し、日本の強みを活かした品目の輸出を拡大していくため、農林水産業の生産基盤を強化していくとともに、新市場開拓の推進等の取組を進めることが重要です。
今後成長する海外の食市場を取り込み、農林水産物・食品の輸出の促進等により、海外から稼ぐ力を強化することで、農業生産の基盤、食品産業の事業基盤等の食料供給能力を確保していく必要があります。
国民一人一人の食料安全保障:持続的な食料システムの構築
食料安全保障は、生産者だけの問題ではありません。国民一人一人の食料安全保障を確保するためには、食料の生産から消費に至る各段階の関係者が有機的に連携した「持続的な食料システム」を構築することが不可欠です。
SDGsが世界に広く浸透し、食の分野でも、原料や資材の由来、栽培・製造のプロセスへの関心が国内外で高まっています。しかし、必要以上に外観のきれいさや、日付の新しさにこだわる消費面の価値観や行動が、結果として、農薬や包材の過剰な使用や、食品ロスを招いている実態にも目を向ける必要があります。
持続可能な食料システムは、生産者だけでなく、事業者、消費者の理解と協働の上で実現するものです。こうした関係者の努力が、将来にわたる日本の食料・農林水産業への国民の支持につながります。
おわりに
新たな食料・農業・農村基本計画は、激動する国際情勢や人口減少等の国内状況の変化等の中にあっても、平時からの食料安全保障を実現する観点から、初動5年間で農業の構造転換を集中的に推し進めるため、その計画期間を5年間としています。
この5年間が、日本の食料安全保障の未来を決定する重要な期間となります。農地の確保、サスティナブルな農業構造の構築、生産性の向上を図っていくことが必要です。
世界の食料危機は、遠い国の話ではありません。気候変動、地政学的リスク、人口増加という三重の圧力の中で、日本の食料安全保障は待ったなしの状況にあります。国内生産の増大を基本とし、これと併せて安定的な輸入や備蓄の確保を図ることにより、国民に対する食料の安定的な供給を実現していく必要があります。
私たち一人一人が、食料安全保障の重要性を認識し、国産農産物の消費や食品ロスの削減など、できることから始めていくことが求められています。持続可能な食料システムの構築は、生産者、事業者、消費者が一体となって取り組むべき、まさに国家的課題なのです。
参考文献・出典
本記事は、以下の資料を基に作成しました。
主要資料
- 農林水産省「令和7年度 食料・農業・農村白書」
- 農業白書2024「新たな食料・農業・農村基本計画の策定」
- 農業白書2024「世界の食料需給の動向」
- 農業白書2024「我が国における食料の供給」
- 農業白書2024「国際戦略の展開」
- 農業白書2024「消費者の需要に即した農業生産の推進と農業経営の安定」
- 農林水産省「みどりの食料システム戦略」(令和3年5月)
- 食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現
- 農林水産省「施設園芸をめぐる情勢」(令和7年10月)
- 施設園芸の現状と周年安定供給の役割
- 農林水産省「2025年農林業センサス」
- 農業経営体の動向に関するデータ
データ出典
- 世界の穀物需給データ:米国農務省「Production, Supply and Distribution Online」「World Agricultural Supply and Demand Estimates」(2025年3月時点)
- 日本の食料自給率:農林水産省「食料需給表」(令和5年度)
- 農業総産出額:農林水産省「生産農業所得統計」(令和5年)
- 食料支出データ:総務省「家計調査」(令和5年)
- 諸外国の備蓄状況:スイス連邦経済・教育・研究省資料、各国政府公表資料
参考資料
- FAO(国際連合食糧農業機関)「世界食料安全保障指標」
- EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社「令和5年度諸外国の食料安全保障政策に関する調査委託事業」(令和5年9月)
