いま、日本の食卓はかつてない静かな危機に直面しています。最新のデータが示すカロリーベースの食料自給率「38%」という数字は、単なる統計ではありません。これは、私たちが日々消費する食料の6割以上を海外に委ねているという、国家の脆弱性を露呈する「警告灯」です。
かつて、日本の食料自給率は1960年度には79%を数えていました。しかし、高度経済成長とともに食生活は多様化し、安価な輸入穀物や畜産物に依存する構造へと変容しました。長らく「安さ」と「効率」を最優先してきた結果、私たちは「食の安全・安心」が永続的に提供されるという錯覚に陥っていたのかもしれません。
しかし、パンデミックによる物流網の寸断、不安定な国際情勢、そして地球規模の気候変動は、その前提を根底から揺さぶっています。「お金を出せばいつでも食べものが買える」という時代は終わりを告げました。本稿では、JAグループが提唱する「国消国産」という理念を軸に、日本の農業が抱える構造的課題と、地域社会の最後の砦としてのJA(農業協同組合)が果たすべき真の役割を、食料安全保障の観点から論じていきます。
「国消国産」とは何か?:人類の財産として評価された協同組合の理念
私たちの国で消費するものは、この国で生産する
「国消国産(こくしょうこくさん)」とは、「私たちの国で消費する食べものは、できるだけこの国で生産する」というJAグループが提唱する新しい食のあり方です。これは単なる「国産回帰」の呼びかけではありません。生産者と消費者が、共に日本の国土と食の未来を守り抜くという、相互理解に基づいた国民的な「意思表示」です。
この理念の根底には、JAが結成以来貫いてきた「相互扶助(そうごふじょ)」の精神があります。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉に象徴される協同組合の精神は、弱肉強食の競争主義とは一線を画す、持続可能な社会の基盤です。
ユネスコ無形文化遺産としての価値
特筆すべきは、協同組合の思想と実践が、2016年にユネスコ無形文化遺産に登録されたという事実です。世界100カ国以上、10億人もの組合員が参画するこのシステムは、150年以上の歴史を持つ「人間平等主義」の結晶として国際社会から高く評価されています。
JAの基本方針である「JA綱領」には、「地域の農業を振興し、わが国の食と緑と水を守ること」が第一に掲げられています。「国消国産」は、この歴史ある相互扶助の精神を、21世紀の食料自給率危機という文脈で再定義したものであり、単なるスローガンを超えた日本の食料安全保障の最前線なのです。
なぜ今、輸入依存が「リスク」なのか:グローバル市場の地政学的背景
これまで日本が追求してきた経済合理性重視の輸入依存型モデルは、今や限界を迎えています。以下の3つの視点から、そのリスクを再整理する必要があります。
世界的な需要逼迫と異常気象の常態化
1. 人口爆発による需要増:発展途上国の経済発展と人口増加により、世界的な食料争奪戦が激化しています。かつての「買い手市場」は消滅し、日本は「買い負ける」立場になりつつあります。
2. 気候変動のリスク:主要な穀倉地帯における干ばつや洪水はもはや日常です。一箇所の産地がダメージを受ければ、グローバルなサプライチェーンは即座に寸断され、日本の食卓を直撃します。
経済合理性の罠と地政学的リスク
これまでのグローバル化は、物流が常に円滑であることを前提としていました。しかし、地政学的な緊張の高まりは、海上輸送ルートの封鎖や特定国による輸出規制の可能性を現実のものとしています。
広島大学の分析によれば、日本の「農協改革」の歴史は、常に金融システムと市場のグローバル化への対応、すなわち「他律的な変化」の連続でした。しかし、いま求められているのは、外部からの圧力への対応ではなく、自国の生産基盤を主体的に維持することの価値の再発見です。安さを優先するあまり国内の農業基盤を破壊してきたこれまでのモデルは、まさに「安全保障上の脆弱性」を自ら作り出してきたと言えるでしょう。
食の安全を守るJAの徹底した管理体制
消費者が国産品を選択する最大の理由は「信頼」です。輸入食品に潜む不安要素として挙げられるのは、輸送中の品質劣化を防ぐためのポストハーベスト農薬や、遺伝子組み換え(GM)作物の不透明な混入です。
営農・経済事業の核心としての品質管理
JAグループ、特に経済事業を担うJA全農は、この不安に対し「科学的な管理」で応えています。
• 「分別生産流通管理(分別管理)」:遺伝子組み換え作物と非組み換え作物を、生産、輸送、加工の全工程で厳格に分離する体制を構築しています。
• 厳しい栽培履歴の管理:全国各地のJAでは、営農指導員が農家の一軒一軒に対し、農薬の使用基準や散布記録の徹底を指導しています。
マーケットインへの転換
現在のJAは、「作ったものを売る」というプロダクト・アウトから、消費者のニーズを起点に生産を行う「マーケットイン」への転換を急いでいます。これは単なる販売戦略ではなく、消費者が真に求める「安全・安心」を、生産現場へとフィードバックし、信頼関係を再構築するプロセスです。日本の厳しい管理基準を経て届けられる農産物は、私たちが選ぶべき「確かな未来」そのものです。
JAの社会的役割とビジネスモデルの変遷:構造的罠からの脱却
JAの組織構造を理解するには、戦後70年以上の歴史を紐解く必要があります。しかし、そこには広島大学の小林助教が指摘するような「ビジネスモデルの停滞」という課題も存在します。
歴史的転換点と「収益構造のシフト」
• 1990年代の衝撃:1995年の「食糧管理法(食管法)の廃止」により、伝統的な「米農協」としてのモデルは終焉を迎えました。
• JAバンク法の制定:これに代わって、JAは信用事業(金融)や共済事業(保険)へと収益の柱を移しました。これにより、「金融事業の利益で、赤字になりがちな営農・経済事業を支える」という独特の相互扶助モデルが確立されました。
「構造的罠」と改革の期限
これまでJAは、経営が悪化するたびに「広域合併」によるコスト削減で乗り切ってきました。しかし、この手法は本質的な解決にはなっていません。政府が課した「2021年4月2日」以降の5年後検討条項に基づく農協法改正の議論は、JAに対し「総合事業体」としての真価を問い直しています。
営農事業の黒字化が叫ばれていますが、真の議論は「黒字か赤字か」ではなく、JAが地域で果たすべき「社会的役割」にこそあります。農業生産を支える機能(営農指導や共同販売)は、単体のビジネスとしては成立しにくくとも、地域の農地を守り、食料自給率を維持するためには不可欠なインフラです。私たちは、JAを単なる「営利団体」としてではなく、日本の食のインフラを維持する「協同組織」として再評価する必要があります。
地域社会の「最後の砦」としてのJA
圧倒的な経済的プレゼンス
• 農業総産出額(2023年):9兆4,991億円。このうち47%にあたる4兆4,935億円がJAの取扱高となっています。
• 金融インフラ:JAバンクの預金額は108兆4664億円(2025年12月末時点)。国内の個人預貯金において約10%のシェアを占めており、民間最大級の金融グループとしての規模を有しています。
命と暮らしを支える社会インフラ
JAの役割は農業支援だけに留まりません。農業産出額が全国3位の茨城県を例にその内容を見てみましょう。
• 医療・厚生事業:JA茨城県厚生連は、県内に6病院・2診療所を運営しています。年間延べ約149万人の外来患者を受け入れており、これは県内の全患者数の約14%に相当します。
• 共済事業:茨城県内のJA共済契約件数は約69万件。これは、茨城県民の約4人に1人がJAの共済によって、生命や住まい、自動車のリスクに備えていることを意味します。
• 食農教育:40年以上続く「ごはん・お米とわたし」作文・図画コンクールなどを通じ、次世代に食の大切さを伝える教育活動も欠かしていません。
このように、JAは単なる農家の集まりではなく、過疎化が進む地域において、銀行、病院、商店が撤退した後も踏みとどまる「地域インフラの最後の砦」なのです。
「地域商社化」する金融機関と、JAが直面するグローバルな変革
現在、JAの収益を支えてきた金融事業は、世界的なフィンテックの波にさらされています。
キャッシュレス社会と決済プラットフォームの脅威
キャッシュレス決済の普及により、PayPayや楽天ペイなどのフィンテック企業のサービスが農村部にも浸透しつつあります。こうした動きは、従来の「預金を集めて貸し出す」という銀行ビジネスの終焉を意味します。日本の地方銀行も生き残りをかけ、「地域商社化」へと舵を切っています。みちのく銀行による減農薬作物の買い取り支援や、山口銀行による「地域商社やまぐち」の設立は、まさにJAが伝統的に行ってきた「営農・経済事業」の領域への進出です。
JAこそが「元祖・地域商社」である
他業種が農業ビジネスを「有望な投資対象」と見なす中、JAは自らが持つ「総合事業体」の強みを再定義しなければなりません。JAにはすでに、金融、営農、医療、生活支援という「横串」を刺せる土壌があります。
縦割りだった事業を統合し、ビッグデータを活用した「提案型相談機能」を強化することで、消費者にダイレクトに価値を届ける。地銀が規制緩和(他業禁止の緩和)によって目指しているゴールに、JAはすでに立っているのです。求められているのは、この強みを活かし、市場の変化を先取りする自律的なガバナンス改革です。
消費者が「日本の農業」を応援すべき3つの理由
「国消国産」の実現には、私たち消費者の主体的な選択が欠かせません。国産品を選ぶことは、以下の3つの価値を買い支えることと同義です。
食の安全・安心を「見える化」する
国内の厳しい農薬基準と、生産者の顔が見えるトレーサビリティは、輸入食品には代えがたい安心を提供します。自分や家族の健康を守るための、最も確実な自己防衛が「国産を選ぶこと」です。
国土の「多面的機能」を維持する
農地には食料を生産するだけでなく、洪水防止(水資源の涵養)、景観の維持、生物多様性の保全といった「多面的機能」があります。私たちが国産品を食べることは、美しい日本の国土と環境を次世代へ引き継ぐための、最も身近な環境保全活動なのです。
地域経済の循環と「准組合員」の力
農業は地域の基幹産業です。国産品への支払いは、巡り巡って地域の雇用を生み、金融・医療といった地域インフラを支える力となります。JAには農業者以外の地域住民も「准組合員」として参画できます。茨城県内だけでも約23万人の組合員がおり、この連帯の輪が広がることで、地域社会の崩壊を食い止めることができます。
おわりに
私たちは今、歴史的な転換点に立っています。70年以上続いてきた戦後農協のビジネスモデルは、グローバル化とデジタル化、そして農協改革という激流の中で、本質的な自己変革を迫られています。
しかし、どのような変革の嵐の中にあっても、JAが掲げるべき「地域農業の発展」と「農地の維持」という「錦の御旗」が揺らぐことはありません。「国消国産」は、一過性のブームではなく、私たちの生存に関わる切実な生存戦略です。
スーパーでの買い物は、未来の日本を創るための「投票」です。一つひとつの国産品をカゴに入れるその手が、日本の農地を守り、自給率の警告灯を消し、子供たちの世代に「豊かな食卓」を繋いでいきます。持続可能な社会(SDGs)への第一歩は、食卓から始まります。一口の国産品から、共に未来を創り始めましょう。
参考文献
- 小林元「JA経営改革のあり方の再検討:営農・経済事業の事業モデルの転換をめぐって」(令和元年度 第1回近畿農協研究例会報告)
- 2023年度 全農決算(JAcom 農業協同組合新聞 2024年7月24日)
- JA貯金残高 2025年12月末時点 農林中金(JAcom 農業協同組合新聞 2026年2月5日)
- 農林水産省「農業産出額データ」
- JA全国中央会「JA綱領 ― わたしたちJAのめざすもの ―」
