2026年4月、食料システム法が全面施行されました。農産物の価格形成に「合理的なコストを考慮する」という考え方が、初めて法律として制度化された歴史的な転換点です。この記事では、「合理的な価格」とは何か、農家・流通・小売・消費者それぞれに何が求められるのかをわかりやすく解説します
第1章 なぜ今、「合理的な価格」が問われるのか
食品の値上がりが続いています。総務省の統計によると、 2026年2月時点の消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)は 前年同月比1.6%の上昇となりました。政府の電気・ガス代 補助金による押し下げ効果もあり数値上は落ち着いて見えますが、 食料品を中心とするコアコア指数(生鮮食品及びエネルギーを除く)は 前年同月比2.5%上昇と、物価高の基調は続いています。 また、家計の消費支出に占める食料費の割合を示すエンゲル係数は、 2025年に28.6%と、1981年以来44年ぶりの高水準を更新しました (総務省「家計調査」2026年2月公表)。
ところが、食品が値上がりしているにもかかわらず、農家の手取りが増えているかというと、必ずしもそうではありません。肥料・燃料・資材などの生産コストが高止まりするなか、長年にわたるデフレ経済のなかで定着した「食品は安くて当然」という取引慣行が、コスト上昇分を川上に転嫁することを難しくしているのです。
農林水産省が整理した「農産物・食品の価格形成をめぐる事情」(2023年8月)では、フードチェーン全体のコスト実態が次のように示されています。
食品価格が形成されるまでのコスト構造の課題
| フードチェーンの段階 | 主なコスト上昇要因 | 価格転嫁の現状 |
|---|---|---|
| 農業生産者 | 肥料・農薬・燃料・資材費の高騰 | 交渉力が弱く転嫁が困難。コスト割れのケースも |
| 食品加工業者 | 原材料費・エネルギーコストの高騰 | 食品関連産業の転嫁率は全産業平均を上回るが、約2割が未実施 |
| 流通・物流 | 2024年問題(残業規制)・人件費上昇 | 売価への反映が追い付かない状況 |
| 小売業者 | 物流コスト・人件費の増加 | 消費者の値ごろ感を理由に、納入価格の引き下げを強いるケースも |
出典:農林水産省「農産物・食品の価格形成をめぐる事情」(2023年8月)
問題の本質は「情報の非対称性」にあります。農家が何にいくらコストをかけているか、消費者には見えません。その「見えなさ」が、不当に安い買い叩きを生む温床になってきました。
第2章 「合理的な価格」の定義——法律はどう定めたか
2024年6月、改正食料・農業・農村基本法が成立しました。同法は基本理念のひとつとして「食料の合理的な価格の形成」を明記しました。この理念を具体化するための法律が、2025年6月に公布された食料システム法(正式名称:食品等の持続的な供給を実現するための食品等事業者による事業活動の促進及び食品等の取引の適正化に関する法律)です。
「考慮する」という言葉の意味
法律の核心にある「合理的な費用を考慮する」という表現は、意図的に「決定する」ではありません。参議院調査室の解説(2025年4月)によれば、「需給事情と品質評価を基本としつつ、合理的なコストを交渉の場で無視してはならない」という趣旨です。
価格を「コストで一律に決める」仕組みにしてしまうと、独占禁止法上の「価格カルテル」に抵触するリスクが生まれます。そのため、あくまで売り手と買い手が対話・交渉によって価格を決めることを前提としつつ、コストを「無視した」価格設定を問題視できる根拠を制度として整備した、というのが法律の設計思想です。
「合理的な価格形成」の制度化に至る経緯
■2022年10月
食料・農業・農村政策審議会「基本法検証部会」設置。低価格競争の問題が議論の俎上に
■2023年8月
農水省「適正な価格形成に関する協議会」発足。生産〜流通〜小売〜消費者の関係者が参加
■2024年5月
改正食料・農業・農村基本法が成立。「食料の合理的な価格の形成」が基本理念に明記
■2024年6月
骨太方針2024(経済財政運営と改革の基本方針)にて「食料の合理的な価格形成のための法制度を検討」と明記
■2025年3月
食料システム法案を閣議決定し、第217回国会に提出
■2025年6月
食料システム法が公布・成立
■2025年10月
計画認定制度(食品産業の持続的発展支援)が先行施行。フードGメンも発足
■2026年4月
合理的な費用を考慮した価格形成に関する措置が全面施行。取引適正化の努力義務・コスト指標の公表・勧告制度が本格稼働
第3章 食料システム法の仕組み——農家・流通・小売・消費者の役割分担
食料システム法の取引適正化に関する措置は、売り手(農家・食品メーカー)と買い手(卸・小売)双方に努力義務を課すという構造です。農林水産省の概要パンフレットによれば、その仕組みは次の3段階で機能します。
食料システム法における価格形成の流れ

① 農家(売り手)に求められること
農家や食品メーカーなどの売り手側には、以下の努力義務が課されます。
- 生産・製造にかかるコストを把握・記録すること
- コストが変動した場合、その要因と水準を買い手に誠実に説明すること
- 持続的な供給に要するコスト等の考慮を求める事由を示して、協議を申し出る権利が明確化されたこと
② 流通・小売(買い手)に求められること
スーパーや食品卸売業者などの買い手側には、次の義務が生じます。
- 価格交渉の申し出に対し、誠実に協議すること(努力義務)
- 取引条件を定期的に見直すこと
- 消費者の「値ごろ感」を理由にコストを著しく下回る納入価格を一方的に強いることは問題行為として明示されたこと
取り組みが不十分な場合の措置:農林水産大臣が指導・助言を行い、改善が見られない場合は勧告と社名の公表、さらに独占禁止法違反が疑われる場合は公正取引委員会への通知が行われます。
③ コスト指標とは何か
食料システム法の目玉のひとつが「コスト指標」です。農林水産大臣が指定した5品目(米・野菜・飲用牛乳・豆腐・納豆)について、業界団体がコスト指標を作成・公表します。
コスト指標の対象品目と主な構成要素
| 指定品目 | 指定の背景・理由 | コスト指標の主な構成要素(例) |
|---|---|---|
| 米 | 主食として消費者の値ごろ感が価格形成を左右しやすい | 種苗費・肥料費・農薬費・機械費・労働費 |
| 野菜 | 生鮮品ゆえに価格変動が大きく、コストが認識されにくい | 資材費・燃料費・輸送費・労働費 |
| 飲用牛乳 | 生産コストが生活必需品の価格に転嫁されにくい | 飼料費・労務費・光熱水費・輸送費 |
| 豆腐・納豆 | 低価格競争が激しく、コスト割れが恒常化しているリスク | 原料大豆・エネルギー費・人件費・容器包材費 |
出典:農林水産省「食料システム法」概要パンフ※3、食品産業新聞社「食料システム法で何が変わる?」
コスト指標は「価格を決める」ものではありません。価格交渉の際に「客観的な根拠」として活用し、双方が合意を形成しやすくするためのツールです。人件費・輸送費・原材料費などを統計データに基づいて数値化したもので、指標が上昇した場合、売り手はその水準と要因を説明して価格改定の交渉を行いやすくなります。
第4章 消費者はどう納得するか——コスト転嫁を理解してもらうために
制度がいかに整備されても、最終的な価格を支払う消費者の理解がなければ、食料システム全体の持続性は実現しません。しかし「値上がりを受け入れてほしい」という一方的なメッセージだけでは、消費者の納得は得られません。
消費者の節約志向は「合理的」である
実質賃金が伸び悩む現状において、消費者が安い食品を選ぶのは合理的な行動です。帝国データバンクの調査(2025年12月)によれば、2025年の食品値上げ品目数は累計2万609品目と前年比64.6%増に達し、消費者側でも値上がりへの抵抗感がより鮮明になっています※13。
つまり問題は、消費者の意識を「変える」ことではなく、「情報があれば選択が変わる」という環境をいかに整えるかにあります。
農水省の取り組み:フェアプライスプロジェクト
農林水産省は、食料システム法の消費者理解の増進を担う広報・啓発施策として「フェアプライスプロジェクト」を展開しています。「売る人にも、買う人にも、育てる人にも。フェアでいい値を考える。」をコンセプトに、コスト構造の可視化と国民的な理解醸成を図っていま。
消費者が「コスト転嫁を納得する」条件の整理
| 条件 | 具体的な内容 | 現状・課題 |
|---|---|---|
| 情報の可視化 | 何にいくらコストがかかっているかが「見える」こと。コスト指標の公表がこれに対応 | 指定5品目以外はまだ対象外 |
| ストーリーの共有 | 農家が抱える実情(後継者不足・気候変動リスクなど)を消費者が知ること | 農水省の理解醸成コンテンツ整備が進行中 |
| 価格の妥当性の担保 | 「値上がりが適正か」を消費者が確認できる仕組み | コスト指標の公表が今後の鍵となる |
| 購買力の回復 | 実質賃金の上昇。消費者が「選べる」経済状態であること | 食料価格政策だけでは解決できない構造問題 |
京都大学名誉教授の新山陽子氏は、「消費者が小売店の価格を見ても、生産者が適切な報酬を得られているかどうかはわからない。価格に占めるコストや報酬を示して理解を得ることは大切だが、それだけでは買う力は生まれない。給与を引き上げ、経済状態を改善することが何よりも重要だ」と指摘しています。
第5章 フランスのEgalim II法から学ぶ——先行事例との比較
「農産物の価格にコストを反映させる」という課題に先行して取り組んだのが、フランスです。2021年に施行されたEgalim II法(農業者の報酬を保護する法)は、日本の食料システム法の設計にも影響を与えたとされています。
フランスの制度の特徴
Egalim II法では、農家が最初の取引相手(農協・食品加工業者等)と締結する契約に、「生産コストを考慮した価格決定方法」の記載を義務付けました。さらに、価格フォーミュラ(自動改定式)として:
価格 = 生産コスト指標 × 係数 + 公表市場価格指標 × 係数 + 品質の割増
という枠組みを定め、コスト指標が変動した際に自動的に価格が見直される仕組みを構築しました。
【図表6】日本の食料システム法 vs フランスのEgalim II法 比較
| 比較項目 | 日本(食料システム法) | フランス(Egalim II法) |
|---|---|---|
| 施行年 | 2026年4月(全面施行) | 2021年 |
| コスト考慮の義務レベル | 努力義務(法的拘束力は弱い) | 記載義務(契約書への明記が必須) |
| 価格フォーミュラ | コスト指標を参考に交渉。自動改定ではない | 自動改定方式を選択可能。コスト連動で価格が更新される |
| 対象品目 | 5品目(米・野菜・飲用牛乳・豆腐・納豆) | 広範囲(ただし生鮮野菜・穀物等は適用除外) |
| 執行体制 | フードGメン(全国20名程度)・勧告・社名公表 | 認定専門職業間組織がコスト指標を作成。競争法への整合に慎重 |
| 消費者への波及 | フェアプライスプロジェクトで理解醸成 | 小売〜食品加工間の取引にも規定あり(農産物原料部分は価格交渉不可) |
出典:JA全中・新山陽子「農産物の適正な価格形成に何が必要か」(月刊JA 2024年3月)※10
フランスでも、生鮮野菜・穀物などはウクライナ危機による資材高騰のあおりを受け「適用しておけばよかった」との声が上がったとされています。日本の食料システム法の対象品目が今後拡大するかどうかが、制度の実効性を測る指標になりそうです。
第6章 2026年4月以降——何が変わり、何が課題か
全面施行で変わること
2026年4月からは、食料システム法の取引適正化に関する措置が本格稼働します。主な変化は以下のとおりです。
食料システム法の施行スケジュールと変化のポイント
| 時期 | 内容 |
|---|---|
| 2025年10月〜 | 計画認定制度スタート(低利融資・税制優遇の活用が可能に)。フードGメンが取引実態の情報収集を開始 |
| 2026年4月〜 | 取引適正化の努力義務が全面施行。農水大臣による指導・助言・勧告・社名公表が可能に。コスト指標が公表される |
| 2026年度以降 | 指定品目の拡大・コスト指標の精緻化・消費者向け情報の継続的な更新が予定 |
残る課題
① 対象品目が5品目に限定
コスト指標が整備されるのは米・野菜・飲用牛乳・豆腐・納豆の5品目のみ。それ以外の品目は努力義務の一般規定のみが適用される。
② 努力義務の実効性への懸念
「努力義務」に法的拘束力はない。勧告・社名公表の制度は設けられたが、実際に機能するかは運用次第。
③ 消費者理解の醸成
制度の「最後の砦」は消費者がコスト転嫁を受け入れること。実質賃金が回復しなければ、制度の意義が社会に浸透しにくい。
④ 独占禁止法との整合性
コスト指標を業界団体が作成することに、価格カルテルへの懸念がある。競争法との整合性の確保が継続的な課題。
農林水産省は食料システム法の理念として、「価格と価値の健全な循環」を掲げています。適正な価格が確保されることで農家・事業者が持続的に活動でき、その資金が品質向上・環境負荷低減・次世代への投資に回る——という好循環の実現が、この制度の目指す姿です。
おわりに
食料システム法の全面施行は、日本の食料政策における「安さだけが正義」という時代の終わりを告げる制度的な一歩です。
農産物の「合理的な価格」とは、農家が持続的に生産を続けられる価格であり、同時に消費者が長く食料供給を受け続けられる価格でもあります。それは誰か一人が犠牲になって成り立つものではなく、農家・流通・小売・消費者の全員が「フードシステムの関係者」として情報を持ち、対話によって形成するものです。
フードGメンの本格稼働、コスト指標の公表、そして消費者向けのフェアプライスプロジェクトの展開——2026年4月はそのスタートラインです。農産物の値段が「なぜこの価格なのか」が可視化される社会に向けて、制度の変化を注視していきましょう。
参考文献
- 農林水産省「適正な価格形成に関する協議会」
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/kikaku/kakaku_keisei/imdex.html - 農林水産省「食料システム法」(2025年6月公布)
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/250623.html - 農林水産省「食料システム法 概要パンフレット」
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/kikaku/kakaku_keisei/attach/pdf/imdex-148.pdf - 農林水産省「合理的な費用を考慮した価格形成について」(2024年10月協議会資料)
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/kikaku/kakaku_keisei/attach/pdf/imdex-70.pdf - 農林水産省「農産物・食品の価格形成をめぐる事情」(2023年8月)
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/kikaku/kakaku_keisei/attach/pdf/imdex-4.pdf - 農林水産省「適正な価格形成のための情報プラットフォーム(フェアプライスプロジェクト)」
https://www.maff.go.jp/j/chikusan/kikaku/lin/tekiseikakaku_platform.html - 農林水産省「令和6年度 食料・農業・農村白書」(2025年5月公表)
https://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/r6/index.html - 農林水産省「農産物生産費統計」
https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/noukei/seisanhi_nousan/ - 参議院常任委員会調査室「合理的な価格形成の実現に向けて―食品等流通法・卸売市場法改正案―」(立法と調査 2025年4月 No.475)
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2025pdf/20250425029.pdf - JA全中・新山陽子(京都大学名誉教授)「農産物の適正な価格形成に何が必要か」(月刊JA 2024年3月)
https://www.zenchu-ja.or.jp/gekkanja/future/20240301-4/ - JAcom「食料システム法が国会で成立 価格形成にコスト考慮」(2025年6月)
https://www.jacom.or.jp/nousei/news/2025/06/250611-82403.php - JAcom「コスト考慮を『努力義務』 取り組み不十分なら農相が勧告・公表」(2024年12月)
https://www.jacom.or.jp/nousei/news/2024/12/241213-78322.php - 帝国データバンク「食品主要195社 価格改定動向調査 2025年通年/2026年見通し」(2025年12月)
https://www.tdb.co.jp/report/economic/20251226-neage25y12/
